キンカンのブログ

気が向いたら書いています。

はなす

 人間関係が苦手だ。具体的に言うならば、人間関係の保持が苦手だ。構築に関しては人並みと言える、と思う。またそれらを考慮しない場合の会話の能力としては中の上なのではないかと思う。もちろん会話の能力の定義を、相手にうまく話を合わせられるかどうかとするならば、の話だが。こういう相手に話を合わせることのみに焦点を絞った自分の話し方は確かに明るく朗らかだが、誠実さに欠け実に軽薄極まりないものだ。こういった類の言葉は口から出るはしから自分で自分に感じる嫌悪感が糸をひく。それどころかこれからその類のお世辞まがいの言葉を言おうと脳のどこかを駆使して考えている時間すら嫌いだ。別にこうやって我慢してまで取り繕ってもメリットばかりではない。結局苦しくなって相手の人を避けてしまったりすると、なんの意味があるんだろうと思ったりもする。そんなもの無いのだろうとも思う。だがそれにもかかわらず人と会えば必ず愛想笑いをして、テンションを高く繕って、他人の視線を熱線かのように戦々恐々と怖がりながら満面の笑みで踊り狂うようにべらべらとつまらない話をまくしたてる。時々我に返る。どうしてこんなことをするんだろう?それは認められたいからだ。軽薄ながらも会話を行うことによって得られた過去の成功体験が、悪霊のように両肩に重く取り憑いているからなのだ。そしてそれは、そのままの自分で他人に話す勇気がないことの証明でもある。しかし、本当に本心で話して他人に認められる人間など、この世にどれくらいいるのだろうか。羨ましくて仕方がない。清く正しい人ならば、こんな悩みとは無縁なのだろう。ああ、他人のためなどではなく、全くのエゴで、自意識から、善人になりたいとおもっている自分がいる。恐ろしく愚かだ。言い訳のしようの無いほどに愚かだ。太陽を暖炉に入れて暖をとろうとするようなものだ。大義をまったく自分の欲に使い切ろうとしている。他人を基準に考えても自分を基準に考えても、辛いものだなと思う。