キンカンのブログ

気が向いたら書いています。

2024/3/5

ブレア・ウィッチ・プロジェクトを見た。

以下、ネタバレあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前情報がある程度入っている状態でみたが、ちゃんと怖くてよかった。やはりホラーは高画質であればよいものではなく、またカメラワークが洗練されていればよいというものでもないということが分かった。3人のメインキャラクターがカラーのカメラとモノクロのカメラを持っていてそれぞれの視点(持っているカメラの視点)からのみ撮られているので臨場感がある。そして魔女がこの映画の元凶といえるのだが、どこにも魔女の姿がはっきりと映ることはない。ないが、代わりにその魔女を象徴させるようなコンポーネントが匂わせるように随所に置かれているのが良い。積み石や枝でできた人形、人体の一部が入った巾着に様々な人の叫び声、また青い粘液など。どれも想像をかきたたせるものでよかった。個人的には叫び声がよかった。おそらく今迄に襲った人の叫び声を学習してまねることができるという設定があるんじゃないかなと考えたりした。しかしそういう設定は明らかにされていないと思う。少なくとも作中では。この具合がうまい。邪魔にならない程度でありつつ、容易に想像がつく。ホラーは画面で完成するものではなく、それを見た人を触媒として、見た人の脳裏において完成するものだからこそ下手な説明は邪魔だからである。「ほうら、青白い女が手を伸ばしながら叫んでいたら怖いやろぉ?」ではなく、それを見た人がどう思うかなのだ。(多分ベタだな…って感じかな)また登場人物も、過度にキャラクターになっていない等身大の人間が描かれており、だからこそおかしくなっていく状況にあわせておかしくなっていく人間という流れが意味をもつ。エンタメとしての映画のすじがきはある程度決まっていて、そこに添っていってその採点基準から、どれだけ高得点を出せるかという部分があるが、ホラー映画は怖がらせることが目的なので、ちゃんと中だるみもせずずっと怖いのが一番だと思う。そのために必要なのが、最初は伏線を張り巡らせ「日常」つまりは平常時を描き、そこから時間が経つにつれて転げ落ちるように状況が悪く、より恐ろしくなっていくということだと思う。勿論絶え間なく怖い状況が押し寄せてくると疲れて麻痺してくるので、大抵怖さと安心を波状に仕掛けていくことにはなるが、しかし全体で見ればどんどん悪化の一途をたどり、最終的にはその恐怖が最高潮まで高まったところでシンバルが鳴って静寂が訪れる。そしてエンドロール。もちろんシンバルというのは隠喩であってその映画でなんらか決定的なシーンが持ってこられるということだ。この怖がらせる緊張感を生むのが本当にいろんな方法があるんだなと感心させられる。そもそも人間の怖いという感情自体多岐にわたるものであり、死やケガを恐れるものから異質なものを恐れる感情、突然怖いものがでてきてびっくりするジャンプスケアものなどいろいろある。そのなかでもこのブレア・ウィッチ・プロジェクトは未知のものに追われる恐怖を描き切っており、しかも中だるみすることなく緊張感はラストに向かってどんどん高まる一方でちゃんとラストシーンも怖かった。よかった。上記の、直接見せない恐怖をまさかラストでも使うとは思わなかった。ラストでは怖い魔女の見た目どーんで終わると思っていた。舐めていた。しかもそれがうまく設定とかみ合っていたのも良かった。個人的にはすごく好きな映画だった。ジャンプスケアも、グロも、エロも(なんならホラー要素を生み出している元凶である魔女自体の描写)も無いのにずっと怖かった。日本の映画をなにもかんがえずにけなしたいわけではないが、もし日本で作られたらガッツリ貞子的なものを途中で見せて、貞子が「ほあああああ…」とかいってるのをみた大学生役が「うわぁー!」とかやってたのかなあと思った。