キンカンのブログ

気が向いたら書いています。

2023/2/3(金)

先日夜7時位に受験に関する手続きの確認を行っているとき、なんと、不手際というか失念というべきか、書類の提出を完全に忘れていた。父と母と話すうちにそのことが段々と分かっていくときの空気は、一言ごとに空間にガラスが押し込められていくようだった。その段階に応じて父も母もまた私も表情がぎこちなく変わる。言葉も切れ切れになる。冷や汗もかくが、それは一瞬のことで、あとはもう常温のただただ不気味な、息の詰まるガラスが周囲に敷き詰められているように感じる。常温といったが、ちょうど血の温度のような、ぬくもりを一切排除した至極冷酷な温度だった。また、ガラスの端は恐ろしく尖っていて、動くと刺さりそうに感じる。と同時に、ニットのセーターをうまく着られていないときの、実体のない不快感が首を取り巻き、掻いても掻いても指からすり抜けるような不快感も感じる。頭の中でそのことを整理していて気づいたが、おそらくその不手際に気づいた瞬間に、「割れた」のだ。テレビを見ながらそれほど面白くもない内容に、自分を自分で囃すために「ははは」と笑っているような無価値で無意味な、きっちりと正常性のガラスをはめこんだ日常が、全く予期していない出来事に長く細かいひびが走って破れたのだ。前期も中期も後期も必要な書類の提出を忘れており、消印の期限から言ってもどうしようもない。また来年。また来年?

愚かしくも鈍重な私の脳はまだ信じられない気持ちでいた。どこか他人事のようにまだ感じていた。心臓が潰れそうだ。一思いに潰れるのでなく、潰れる手前、その予感だけがひたすら胸を押しつぶしていくようだった。別に大学にそれほど未練があるわけでないが、ここまで頑張ったのだから成果を見たいと思ったのだ。あとは自分の馬鹿さ加減(これからの人生でもずっと付き合っていくであろう深刻な注意力の欠如)に地獄の底まで落胆したのだ。なにか道がないか。「自分らにも責任はある。また来年。自分を責めるな。」と父は言った。

今までにないほど顔の筋肉が重い。口の中までぬるく焦がされるような不快感がある。

「どうしよっか」

と口から出た。

きれいに額装されていない時間というのは、言葉もどこか上っ面というか、認識しづらい。レンズを通して見ていたものを肉眼で見ると印象がガラリと変わるように、ぬるま湯に浸かりきった私の五感は、むき出しになった現実に対する明瞭な感覚を有していなかった。「どうしよっか」という言葉は他人が近くで喋ったような、遠くで自分が喋ったように聞こえた。まだ浪人になるということが考えられない私は、屍人のように出願要項を読んだ。父親はどこかに電話をかけている。

…どうしようもない。  …いや、

「いや」

要項を読むと、どうやらH大学の提出は今から準備すれば間に合いそうだとわかった。中期と後期はもう駄目だということも分かったが、H大学が第一志望だったのでそれだけでも幾分か気が楽になった。また中期に受けるO大学は大丈夫かわからなかったため一応書類の準備をして、翌日直接(郵送では間に合わないため)書類を提出してよいか電話で確認してから受験料の支払いをすることになった。

その翌日、つまり今日父がその確認と書類の受け渡しを行ってくれた。有り難い。申し訳ない。滞りなく受理されたようだ。後期は欠けたが前期中期さえあれば十分だ。背水の陣、という言葉が頭を過ぎった。今日は勉強を殊更頑張った。あのガラスが割れる感覚は、私が小学生の頃は頻繁に感じていた。今は心が安定しきっているからか「そう」感じることがなくなったが、喉元すぎればかすかにあの不快感にも懐かしさを感じた。ほとんど意識していなかったが、どうやら、ガラスは元通りになったようだ。ほんの少しのヒビを残して。ヒビとは?なんのことはない、少し寝付きが悪くなった。嫌な反面、定期的にあの感覚を感じたいような気持ちも感じる。これは難しい。あの感覚は私の失敗に対する後悔や羞恥心の高まりから生まれるため、必然その大本の出来事が存在するし、その出来事は大体の場合私に対して即座に悪い波及効果を及ぼす。その悪い波及効果なしではあの感覚は得られないし、悪い出来事が起こることは勿論避けたい。世の中うまく行かないものだ。まあ、暇したら適度に割っていこうと思う。