キンカンのブログ

気が向いたら書いています。

コモン・センス

ジーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

がちゃん

 

円板。

きっかり3つに区切って、それぞれの区画が鮮やかに彩られたルーレットに似た円い板が、仰々しい音を立てて丁度60度、まわった。カラフルな釉薬をかけて焼いた陶器のような「それ」はみずみずしい光沢がありつつも、どこか骨董品のような落ち着いた雰囲気を携えている。上部に備え付けてある金ぴかの針は、ショッキングピンクの部分を指している。私はは、時計の横に、少し間隔をおいて置かれたそれを目の端にとらえて、すぐテレビの方に目をやった。ばつ、と小さな音をたててそう大きくないテレビが点いた。頬に微小を湛えたニュースキャスターがモニターに映る。

「転道しました。転道しました。現在クンピ国の法が適用されます。」

 私は視線だけそちらに向けていたがすぐに今書いている手紙に移した。ごく薄く黄褐色を帯びた紙は窓からの清潔な光を受けて白く色が飛んでいる。コツリとペンの後ろを机に当てて、少し考えて、私はまたはペンを紙の上に滑らせ始めた。

 はじめまして。僕の名前はトヒ。僕の家は、ひろいひろい土地に一つぽつんとあるだけなんだ。家の周囲には色も感触も単調な芝生が、地面の凹凸を緩やかになぞりながらどこまでもどこまでも続いている。遠く、遠くの方に小指の先程の大きさの家がこれまた心細くなるほど孤独にぽつぽつ在る。そのそれぞれの家もかなりの間隔をもっている。またもう少し寂しさを我慢して遠くのほうに目をやると、いま踏んでいる地面からその彼方までゆく道中の青い芝生のうねり全てが平らに収束した悲しい地平線がある。それより上にはぼんやりと薄暗く青白い空が、頭上にありあまる隙間を申し訳程度に埋め尽くしている。ただ、それだけなんだ。たぶん、君もおんなじ感じだろうね。

と書いた。書いたが、どうも続ける気がしない。こんなことを大真面目に書く自分が馬鹿らしくって馬鹿らしくって仕様がないように思えてきた。

 いま、丁度転道しました。クンピ国の法とモラルが適用されますね。いや、この手紙が届く頃にはどうでしょう。オア国かな。ドリミ国かもしれないですね。なにせ数十分、短ければ数分で!法が、変わってしまいますから。わかりませんね。

 

 

我慢ならない、いやな気分だった。朝あれほどに、今日こそは誰かに伝えると固く誓った決意はもう、やがて抜け替わる歯のようにぐらぐらと不快にうごいている。

 いつから、こんな生活だったっけ。僕は思い出せないんです。あなたはどうですか

そこまで書いてもういよいよ耐えられなかった。破り捨ててしまおうと思った。だいたい丁寧語と話し言葉が混ざった手紙など上等と言い難い。めんどくさくなった。もう、このあいだ読んだ怪談話について書いてしまおうかなあ。そうしよう。先刻まで使っていた便箋は丸めて屑籠に投げた。新しい紙を取り出す。

 ある怪談本を読んだんだ。その本はね、全部で5つの話が入ってて、始めの4つはまだ中の上で良しとしたとしても、最後がよくなかったんだ。そりゃもうひどい。オバケが男の前に出てくるんだが、こいつの風貌がなんと白い風船に顔と手。ああ、なんという古典的意匠か!当然男は全く動じない。そのオバケにだって矜持はあると見えて、男に問いただす。

「どうして驚いてくれないんですか。ひどい。まあ聞いてくださいよ、オバケといえば怖い、そしてオバケといえば私のような格好です。だのにあなた、驚かないのはどういう了見ですか。仮に、たとえ、恐ろしくなくともその場を凌ぐために少しくらい、怖がるふりくらい、いいじゃありませんか。なのになのにどうして、どうしたことですかその平静ぶりは!」驚かすものとして、畏怖の感情を一身に受けるものとしての自負が毫もない発言。男は全く動じないままに、

「そうだ、お前はオバケだ。お前以上のオバケはいないだろうな。だが、その時点でお前はただオバケでしかない。人が恐怖するのは、月並みに言えばわからないもの。もっと具体的に言うとするなら、差し迫った脅威としての異質だ。それがお前はどうだ。どこにわからない要素がある。どこが異質だ。脅威だ。お前のことなど皆分かりきっている。オバケだろう。だからみな怖がらないんだ。それ以上でもそれ以下でもないから。」

と突きつける。それでオバケは泣きながら男の首を引きちぎって持って帰っていく。というような話だ。わけがわからないだろう、君。もし分かったら返信くれないかな。

先程とは打って変わってするすると筆が動き、もう書き上げてしまった。肩の荷が降りたようだ。手紙を持って玄関の隣あたりの部屋に向かう。

 景観のバランスの良い、赤い屋根と白い壁の2階建ての家、これが私の家だ。その壁面にはふたつのポストがある。ひとつは送る用で青色、もう一つは受け取る用で赤色。カラフルな室外機にも見えるそれらは壁に埋め込まれており、室内まで貫通している為手紙を室内から受け取ることも送ることも可能になっている。今日も「受け取る用」のポストには大小様々の手紙がきりきりと層になって詰まっている。手紙は毎日ほうぼうから送られてくる。「手紙によってのみ」親交がある友や、また仕事上やり取りの必要な同僚。また他にもランダムに手紙を送る方法もある。手紙を包む封筒に「random」と書きさえすれば、誰にも全く預かり知らない家に着く。この方法で手紙を届けると数桁の数字の羅列が刻印された状態で届くのだが、これがランダムに送られてきた手紙に返信する上での「住所」のような役割をなすのだ。・・・・「送る用」のポストに手紙をするりと押し込むとがちゃんと乱暴に金属の受口が閉じた。その時、またもやあの、ほの不快な緊張をもたらす音が鳴った。

ジーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

がちゃん

報道機は隣の部屋にあるので随分こもった音だが確かに鳴った。リビングに戻った。

 現在金色の針は青色の区画を指している。これにてこの地は現在めでたくもめでたくなくもオア国の統治下となった。が、数分後にはおそらく異なった国の統治下である。またテレビがひとりでに点き、やはりかすかな笑顔を浮かべたニュースキャスターが転道しましたとの旨を告げる。転道とはなにか?法の転換である。国が変われば法も変わる。それぞれの国の文化を反映した法律に変わるのだ。それだけではない。モラルさえも変遷する。常識的に考えて「するべきこと」「するべきでないこと」のニュアンスもまた多少ズレる。つい3分前は他人を殴るのが大きな罪に問われなかったとしても今は違ったり、また今ゴミを不法に投棄しても誰も何も言わなくとも、数分後は違うかもしれない。いや、今はこんな具合で陸の孤島とでも言うべき状態だ。モラルも何もあったものではない。誰を殴りに行くのか。数キロメートルわざわざ歩いて?なんのゴミを捨てるというのだ。誰も拾いはしないし景観の悪化で困るのは他でもない私だ。私は、そこそこ、この風景が気に入っている。

 書物を読み歴史を紐解いていくと、どうやら皆住居を集約して生きていた頃もあったらしい。しかし転道のシステムが組み込まれてからイザコザが絶えなくなりこうならざるを得なかったことが読み取れる。そんならやめちまえばよかったのに!転道なんか。しかしそうもいかないだろう。そもそも昔に三国が隣接してあるところで争いが絶えずあって、一国が弱体化したらその国が攻めていた国が強まりもう一国への侵攻が強まるというような三すくみの状況が続いていた。しかし、争って三国とも衰弱するくらいならと、ある計画を三国で立てた。そのまさに争っている地を統合して三国で所持権をランダムに短期間で入れ替えてしまおうと企てたのだ。そして実行してしまった。はじめは思いつきだったのだろうが、いざ始めるとどうも、その関係を絶えさせることができない。戦争でも起こして関係を反故にしようとしても、戦力や人口の集中した部分は、今直ぐにでも他国になるかもしれない。戦略も立てにくければ実行も困難になってしまった。それでにっちもさっちもいかない、いわゆる平和になってしまったから、今日までこの現状が続いているのだ……

 どうも、なまじ国だとか歴史だとかに知識があると、日々の生活の不満を好き勝手にぶちまける市民としての自分と、中立的に賢く立ち回って考える自分とが、両立してしまうところがあるな、と思う。どうしても自分の立場で語りきれない。

私はなにはともあれ満足だった。娯楽の面においてはタダのものが溢れているし、食べ物にも困らない。ただ将来に対する不安も薄ぼんやり感ずることもあるが、なに、これまでもこの状況が続いてきているのだ。そう簡単に終わるまいて。それに、これ以上望むのは傲慢というか強欲というか、足ることを知るべきだと思うのだ。

 ああ、今朝はなにか現状に対する大いなる不満を発露していたのに。日和見、ああ。この、仕組みがいけないのだ。数分で変わってしまう掟に裁かれることがいかに馬鹿らしいことか。始めは反抗もしたさ。しかし、不快に感じる原因が取り除かれないとき、人は自分を変えようとする。不合理に寄り添って生きる。そしてそれは今までどおり生きるということなのだ。主張を変えないということは、むずかしい。次第次第にそれが骨の髄まで染み込んだとき、何をするのも面倒になった。身を切るような感動も、ちょうど厚い霧にサーチライトを当てたようにぼんやりして、腹をぼんやり温める以上の働きをしない。逆に、苦しいこともなくなった。他人と変にすれ違ったときの、やけどのような痛みはもう感じない。差し迫った危機は、感じない。ただ、ほんの少し、匂うように寂しい。

 外からは、ただ、あたたかな陽がさしこんでいる。