キンカンのブログ

気が向いたら書いています。

ぶん殴りたい顔

今日はいい天気だ。自転車をまたいで、トンネルを通り橋を越え坂を登る。

いやそれにしても、花粉がすごい。まあ仕方ない。春真っ盛りでいい天気なのだから。

ちゃんと薬は飲んできたのだがな。そのせいか、花粉症に効く薬は脳にもよく効くらしく、脳みそに重みが感じられない。

ぽーっとして頭を体に乗っけながら自転車はすいすい進んでいく。

 

おや。誰かが前を自転車で進んでいる。男の人だな、と思った。

こういう時に前をゆく人は絶妙な速度を持つもので、追い越そうとしても追い越せず、

先にいかせようとしても常に目に入る範囲にいる。 邪魔だ。

スパートかけて追い抜こうとした時、ちらとその人の顔が見えた。

 

うわ。すごい。

 

目は少し虚ろだろうか。鼻は凡そ普通。どこかで見たようなものがついている。

しかし。物凄いのは口なのだ。アヒル口などという言葉では到底言い表わせそうにない口をしている。

信号機。そう信号機。あのライトの部分を上から覆う屋根のようなモノ。帽子のキャップ、あれのつばのとこみたいなモノ。あれが口の上下に唇として前方に向けて伸びている。

 

想像できたかな。

すごいでしょう。

 

木の棒か何かを長時間咥えこんでいたらああなるかもしれない、などと馬鹿げた考えも頭をよぎった。

先程までさっと追い越して追いつかれない程度にちぎるつもりでいたが、こうなってくるとそういうわけにもいかない。少し速度を落として顔をみてやりたい。

不審に思われないよう気を配りながらも、自分の自転車を相手の自転車の斜め後ろにつける。

 

それにしても面白い顔だ。

口まわりの、特に唇を動かすような筋肉が根こそぎなくなったらこうなるだろうか。

子供なんかがボーッとテレビなんかを口を半開きにしながら見ているときなど、こんな口に少しは近いような気がする。しかしこの人はすごい。それがずっとなのだから。

 

…いや。

あー、どうにもならないから言ってしまおう。白状しよう。

殴りたい。この顔を殴りたい。

こいつの、この、顔を、殴りたい。

一体どうしたことだろうか。私は普段から温厚で優しいので売っているほどなのだ。

誓って言おう、私は自然なら人を殴るなどという発想すら浮かばないことだろう。

それが今は殴りたくてたまらないのだ。できることなら助走もつけたい。

おおきく振りかぶって殴りたい。ああ殴りたい。

その男の  ぼこ と飛び出た口に思いっきり拳をうずめられたら、と想像してみることにした。まず  ぶぇっ  とか何とか叫んで涎をたらしながら吹っ飛ぶだろ。次はなんだろう。唇をぶるぶる震わせて怯えるかな。それともすごく驚いて動かなくなるかもしれない。いや、激昂する可能性もある。泣き出すかな、それは実にいいな。痛快極まるだろうなあ。

 

ああ、口惜しい。目の前にこれほどの逸材がいるというのに見逃すのが惜しい。

しかしどうにもならない。何もしていない人間を殴るなど、いくら逸材とはいえ、とてもできない。ひどく躊躇われる悪行だ。

 

ああ、この際、むしろ、あちらから手を出してくれないだろうか。

そうなればもう、コチラのものだ。何発か自分が殴られるのは甘んじるとして、その分容赦ない殴打を「あの顔」浴びせられると考えるとぞくぞくしてくる。

 

しかし、現実はそう甘いものでない。

もう随分と自転車をこいできた。そろそろ怪しまれる頃合いだろうし、なによりそろそろ帰らねばならない。諦めてカゴの向きをぐるっと回そうとしたそのとき。

 

その唇男は、あの眠たげで加虐衝動を掻き立てるあの顔で、あ、とでも言いたそうな顔をして僅かに臀部を持ち上げた。

 

 

「ぶぅ」

 

おれは次の瞬間、唇男の顔面に自分の拳がずしりと沈みゆくのを見た。